ある休日、日もまだ高いころ散歩に出ていたM氏は、駅前の広場で「ばんざーい!」という声がこだましているのを耳にした。
そちらに視線を向けると、十数人が集まって喜びをこらえきれないという表情で、道行く人々の方へ万歳を繰り返している。
一団は老若男女から成っていて、どうにも共通点が見当たらない。そばにのぼり旗は無く、誰もスーツや衣装を羽織っているわけでもなく、私服のままだ。
しかも、特に最近めでたいニュースも聞かないので、何を祝っているのかも検討がつかない。
前を通行する人々の反応は、無関心だったり、歩を緩めながらぼうっと眺めたり、視線を合わせず半ば避けるように早足で通り過ぎたりと様々である。
どうせ暇なのだからと、興味を持ったM氏は近づいてそのうちの一人に尋ねてみることにした。
「すみません、ちょっとお伺いしたいのですが、一体何を祝っているのですか?」
尋ねられた初老の紳士はにこやかに振り向くと、
「なに、あなたもやってみれば直にわかりますよ。」
とはぐらかすような答えを返した。
「やってみると言ったって…、祝うことがわからないのではそんな気持ちになれませんし、少し恥ずかしいです。」
「大丈夫です、あなたもぜひやってみて下さいよ。」
と、紳士はなおも万歳をするように勧めてきた。
「あ、いや…結構です、…うわっ?」
面倒になってきたのでそばを離れようとしたM氏の両腕を、一団のうちの二人の男が紳士と同様にこやかな顔でがっしりと掴んできた。
「何をするんですか、離して下さい!」
「あなたも一緒に万歳をやってみて下さい、せーのっ」
両腕を無理矢理持ち上げられたM氏は、掛け声に合わせ強引に万歳の格好を取らされた。
「ばんざーい!」
人通りの増える夕暮れ時の駅前では、しだいに厚みを増していく万歳の声が鳴り響いている。
その大所帯に混じって、皆と同一の笑みを浮かべ、万歳と共に両腕を振り上げるM氏の姿があった。